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ハジュ・べク夕シュ

hacibektas2_s.jpg (9563 bytes) ネヴシェヒールとクルシェヒールの途中、ネヴシェヒールから45kmのところにある郡の名にもなっているハジュ・べクタシュ・ヴェリは、現在のイラン国境を含むコーラサンで13世紀に生まれた.ハジュ・べクタシュは最初の教育を有名な思想家アフメット・イエセヴィより受けた.彼はトルコ人達が東から西ヘ移住するのを追ってアナトリアヘ来、そこでアナトリアセルジュク人達の政治的、経済的体制が崩れたことと、管理等が分裂しつつあるのを目の当たりにした。ハジュ・べク夕シュはこの時期に町や村を歩き回りトルコ人の団結の確保と伝統と風習、イスラム信仰者をまとめるために骨をおった。古くはスルジヤ力ラホユックとして郡で作った学校で生徒達は教育され。トルコの宗教と文化を外部からの影響を受けないよう、すべての面で守ることに努力した。郡の中心で行なわれた発掘によると古代青銅器時代、ヒッ夕イト時代、フリギア時代と口ーマ帝国時代に属する出土品はハジュ・ベク夕シュ考古学博物館で展示している。

ハジュ・ベク夕シュ・ヴェリ博物館

hacibektas_s.jpg (8777 bytes) 内部にハジュ・べクタシュ・ヴェリのバルム・スル夕ン陵墓が見られるキュリエに、モスク、洗濯場、ハマム、厨房、来置室、水汲み場がある。博物館としてー般公開されているキェリエは、順序よく3つの中庭から構成されている。

  1. 第1中庭(ナダル中庭) :大きなアーチ形扉で中庭ヘ入れる。すぐ右に1902年に建てられた“ウチレル・チェシメ(3つ子の水汲み場)”、同庭に洗濯場とハマムがある。
  2. 第2中庭(デルガー中庭):ここへは“ウチレル・カプス(3=の扉)”と呼ばれている扉から入ることができる。扉のすぐ右に1554年に作られた水汲み場があり、1875年ガヴァラル・メフメット・アリ・パシャの娘によってエジブら送られたライオンの像が置かれてからは“アスランル・チェシメ(ライオンの水汲み場)”と呼ばれるようになった。この中庭でオスマン朝スルタン・メフメット2世の時代に建てられたモスク、デルガーへ来た来客と旅人を対面するための来賓の間と厨房がある。広場の家に隣接してい料貯蔵庫の下の階には修業場にある貴重品や食料が保れていた。
  3. 第3中庭(ハズレット中庭) :'“アルトゥル・力プス(6の扉)”より入る.。入口では独特の庭、右側にはデルヴィシュ(イスラム神秘主義の修道僧)と宗門の長などの墓がある。向い側にはセルジュク建築の特徴を示しているオルハン・ガジ時代に建てられたハジュ・べクタシュ・ヴエリがある。陵墓ヘはセルジュク模様で作られている大理扉で中へ入ることができる。ハジュ・べクタシュがしたテレハーネとクルクラル広場がこの部分でる。ハジュ・べクタシュの緑の箱の陵墓は、様々な燭台で飾られ筆画で描かれた文字模様等がある。クルクラル広東側にコーラサン・エルレリの墓。西側に教養ある人になると語られている墓と一緒にギュヴェンチ・アブダルの陵墓が見られる。

ハズルット中庭の右1519年に建てられたハジュ・べク夕シュの後に来たバルム・スル夕ン陵墓がある。

 
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